« アトピーが治るまで(6) | トップページ | Saturday in the Park »

2005/05/02

子供は育てるのか?(3)

~この記事は、子供は育てるのか?(2) の続きです。~
シリーズの最初から読むには、サイドバー の「カテゴリー」内にある「!子供は育てるのか?」を選んでください。

「文藝春秋」5月号で、絵画教室で遠足の思い出を描くように言われて、1時間苦しんだあげく唐揚げ1個しか描けなかった小学2年生や、「目をつぶってよく思い出してごらん」と言われても目をつぶれない子がいることが大問題だと報告されていた。ensoku
そうなった原因はいくつも考えられる。

1)脳の発育の問題
子供の頃から知育教材を与えられ、自分の欲求を表現する前に定型が示されてしまう子供は、表現するのに必要な脳の発育に問題がある。特に、ビデオやDVDなどの影響が大きい。

2)美しすぎる世の中
極度に清潔を求める社会の中に、子供もやはりさらされている。小学生ともなれば、自分の技量は心得ている。絵を描くのが下手だと自覚している子供は、自分の絵の汚さに耐えられず、描くことができない。

3)演じさせられている日常
3歳児は3歳児なりの、5歳児は5歳児らしい姿が求められている。幼児教室の様子を見たことがあるが、先生たちは5分に1回ぐらいは、「○○ちゃん、それおかしいよ」と言っていた。基準とずれているという意識が言葉に表れるのであろう。子供は苦手な分野は演じることを拒否する。

などなど。

しかし、実際は、絵が描けないことや、思い浮かべられないことがそれほど問題とは思えない。

私自身、絵を描くのは駄目だった。目の前の物を見て描くときはまだしも、思い出して描くのはさっぱりだった。いつも絵がうまい子のをのぞきつつ何とか描いた。

問題なのは大人の干渉である。子供が持つエネルギーは、領域のあいまいな非定型の世界でのみ、現出が可能となる。野球やサッカーなどのスポーツはともかく、子供の遊びを見ていると実にたわいがない。大人には意味や目的が理解できない。それで、いいのである。エネルギーの放出そのものがその意義なのだ。

大人が介入して、子供の世界に意味や目的が持ち込まれると、そのエネルギーは押さえ込まれ蓄積され、大人の干渉をはねのけられるところで噴出する。だから、中学生や高校生、いや20代、30代にもなって反社会的行為をしてしまうのである。深夜の暴走行為や陰でのいじめの根はそういうところにある。成人が幼児を虐待するのも同根。

私には、この問題と他の問題の解決のためのアイディアがある。それは農業がポイントになるのだが、まだ考えがまとまらないので、今後考え続けるつもりである。

続く

|

« アトピーが治るまで(6) | トップページ | Saturday in the Park »

社会」カテゴリの記事

コメント

子どもの頭の中の美しいイメージは、障害者という立場におかれた人達にも同様のことがいえるのではないだろうか。
テレビで、さわやかに笑っている手足のない青年が、障害者というイメージで、障害者達と接すると、大変なトラブルが生じる。
例えば、中途障害の人の中には、しゃべる事が出来るのに聞こえない人もいれば、頭部外傷で高次脳障害となり、感情コントロールができなくなった人もいる。
いずれも外見にはわからない障害者だ。
にもかかわらず、身体の障害を視覚によって、認知されてしまった子ども達の中には、さわやかに笑っている手足のない青年以外の障害者を認知出来ていない。
それ故、厚生労働省前で、座り込みをしている障害者達を異様な眼でみてしまっている。
障害者の地道な運動の結果、矛盾した制度を矯正していることさえ、わからないのである。
さわやかに笑っている手足のない青年が、テレビに出れば出る程、権利保障を訴えている障害者達は、過激というイメージが倍増していまうようである。
子ども達には、さわやかに笑っている手足のない青年は、ヒーロー化され、一種のカルト集団の教祖様かのように、イメージ化されている。
実に恐ろしい時代である。

投稿: があこ | 2005/05/02 01:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13076/3942043

この記事へのトラックバック一覧です: 子供は育てるのか?(3):

« アトピーが治るまで(6) | トップページ | Saturday in the Park »