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2005/06/04

幸せのファイル

小学生の頃、ラジオ体操の皆勤賞か何かで、バインダーやファイルをもらうと、心が弾んだ。もちろん百均などなかったから、買うとなると文房具屋で数百円していただろう。

しかし、小学生にとって高価な物をもらったからうれしかったのではなかったように思う。皆勤賞を達成した喜びによるものでもなかったはずだ。

「なんや、またファイルか。ラジコンぐらいにしてくれへんかな」

「そら無理やで。ラジオ体操のおばちゃん破産すんで」

「えっ、この賞品、あのおばちゃんが買うてくれてんの?」

などと、同じものをもらった友達は、それほど喜んでいなかったようだ。なぜ私はただのファイルでささやかな幸福感を得ることができたのだろう。

私が小学生の頃と言えば、オイルショック後の不況があったとはいえ、高度成長を成し遂げた後で、日本は十分に豊かになっていた。ジャパン・アズ・ナンバー・ワンという本が出たのも、私が小学生の頃だ。何かを集めるのがよく流行した。ウルトラマンや仮面ライダーのカード、鉄道模型、切手、ゲームウォッチなどなど。

私が暮らしていたのは、かつて有栖川宮が別荘を持っていた土地で、日本三大松原の一つがある地であった。金持ちが多く、家族の数以上にトイレがあるとか、家の庭でミニゴルフができるとか、テニスコートを2面も家の横に持っているとか、ポルシェとランボルギーニが車庫に並んでいるとか、そういう家が実在した。仮面ライダーのカードなど1週間で集めたやつもいた。ダブリは全て友達にタダで配っていた。鉄道模型で、一ヶ月もかからずに大パノラマを完成させたやつもいた。1回ゲーセンに行けば数千円使うやつもいた。ドンキーコングがやたらうまかった。ただし、ハイスコアを出しても、名前を入力することはなかった。イニシャルをローマ字で表すということができなかったからだ。

私はと言えば、木造の社宅で暮らし、仮面ライダーのカードはダブリも大切においておき、他の子とダブリどうしを交換した。鉄道模型は、お年玉をもらうたびにやっと一編成ずつ増やしていた。ドンキーコングはゲーセンで見たことは何度もあるが、自分でやったことはなく、ずっと後、息子が買った任天堂のゲームソフトで初めてプレーした(タイトルは同じでも、中味は全く違っていた)。

ウルトラマンだろうが、ブルートレインだろうが、流行が終わるまでに、満足のいくコレクションができたことはなかった。資力不足だ。だから、常にコレクションに対するあこがれがあったのだろう。渇望が。
だから、ファイルやバインダーなど何かをためるものを、喜んだのだと思う。

今は、極めて物欲が小さい。新しいものはあればいいなぁと思うことはあるけれど、ぜひ欲しいと思うことは非常に少ない。本を除けば。何がどうなってこうなったのか、これもいつか考えてみたい。
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