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2005/06/05

日常生活-捨象-学問

「ゆとり教育」あるいは「総合学習」をめぐる議論で、推進派の中には、実生活に根ざした学習を主張する人が多いようである。
私はこれには賛成である。ただし、ある段階以上では、ことばの壁が立ちはだかると思う。

私はこよなく日本語を愛するものであるが、学術用語に関しては欠点を認めざるを得ない。英語でもドイツ語でもフランス語でも、多くの学術用語が日常語と共通である。

例えば、「関数」。英語では function だ。これは、まあ、働きといった意味だから、何か働きを持つものだということがイメージしやすい。パソコンのファンクションキーでもいい。あるファンクションキーを押すと文字が大文字に変換されるとしよう。そのことと、f (x)=2x x にある値を与えれば、f (x)で、その2倍の数が得られるということはよく似ている。
それに対し、日本語で 関数 と聞いても、ファンクションキー との関わりは思い浮かばない。それだけでなく、「消化機能」の「機能」も、「貿易の経済的役割」の「役割」も全てばらばらの言葉になってしまうが、英語では全てfunctionで表せるのだ。

例をもう一つ。ハイデガーの「存在と時間」。もう哲学となると多くの日本人には、その用語だけでお手上げ。しかし、この本の原題は Sein und Zeit 。「あること と とき」ぐらいの感じ。英語なら Being and time で非常に易しい言葉である。この本には「現存在」というさっぱりよく分からない言葉が出てくるが、これはドイツ語では Dasein。存在の sein の前に、そこ とか ここ の da がついているだけで、この da は、いないいないばあ のドイツ語版で幼児に向かって使うほど易しい言葉である。欧米の多くの言語では、哲学でさえ、日常語それも易しい日常語で記述可能なのである。

実生活に根ざした学習を行うには、日常語と学術用語の関連を理解すること、少なくとも感じ取ることが必要である。日本語でも日常語を学術用語として使えればいいが、それは不可能ではないにしても、かなりの時間と労力がかかる。

そこで、一つ提案。小学校の早い段階から、国語の時間に比喩を徹底的に練習させるのだ。比喩に慣れると科学で重要になる捨象が自然と身に付く。
例えば、物理では対象を絞って計算する。おもりを落とす場合なら、おもりの質量や落とす場所の高さは考慮に入れるが、おもりの材質や色、形、価格、落とす人の指の太さ、落とす場所から見える風景、・・・そういったものは全て無視する。つまり捨象する。
比喩にも捨象が必要だ。「綿菓子のような雲」という場合、値段や大きさや素材などあらゆるものを捨象して、白くてふわふわした感じだけを残している。学術では頻繁に捨象が行われるため、どうしても比喩の訓練が必要なのだ。

現役教諭の話によると、モデル化して考えることが苦手な生徒が増えているらしい。モデル化とは、例えば、原子核を大きな円で表し、その周りに小さな円の電子を配置する、といったやつだ。これもテレビやゲームの映像をあまりにも見すぎて、見たまま全部しか理解できない頭になっているからではないだろうか。捨象ができないのであろう。

まとめ

  1. 学問では捨象が重要であり、捨象ができれば、日常生活と学問のつながりが実感できる。ただし、共通のことばのおかげで、つながりがすぐに実感できる欧米の言葉と違い、日本語は、使われる言葉が日常と学問で異なるため、つながりが実感しにくい。
  2. 比喩は捨象に慣れるのに最適の訓練である。小学校の国語の時間を増やし、比喩の練習を徹底させるべきだ。

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