ロンドンテロ報道姿勢より
ロンドンのテロの報道体制が、日本の大惨事の際の報道とは少し違っているようだ。
今となっては被害の大きさを全世界が知っているが、最初は報じられる情報が少なかった。
第一報はそれほど被害が大きくない印象を与えるものであった。死者の数も少なかった。
その後、徐々に被害の大きさが報じられていった。
分からなかったことが、だんだん分かってきたというだけでなく、意図的に公表を制御したようだ。
狙いは、
1)市民のパニックを防ぐ
2)テロリストの戦意高揚を防ぐ
ことではないかという。
邦人犠牲者の有無を確かめるために、日本大使館員が病院を回った時も、日本大使館員の身分が証明された後でも、情報を得られなかったとのことで、明らかに情報の制御が行われている。
日本人として憤りを感じずにはおれないが、その狙いは理解できる。
大体、報道と事実は似て非なるものであるが、それを認識している人が少ない。
私は、エイズの問題に携わっていた頃(まだ「薬害エイズ」という言葉がメディアで使われていなかった頃だ)、いやと言うほど、現実と報道の差を感じさせられた(このことはいずれ本ブログでも書くことがあるかもしれぬ)。
メディアリテラシーの教育がない日本では、特に報道の非現実性を認識していない人が多い。
さすがに、テレビで言っていることを嘘だと見抜ける人は多くなってきてはいるが、ニュースに対する盲目的信仰はなかなかなくならない。
例えば、あるテレビ局が中国が好きかどうか街頭インタビューを行ったとしよう。100人に聞いて(実際はそんなに聞かないだろうが)、50人が好き、50人が嫌いと答えたとしよう。五分五分だ。しかし、実際のニュースで、好きと答えた人を1人先に紹介し、その後で、嫌いと答えた人を5人紹介すれば、視聴者は中国が嫌いな人が圧倒的に多いという印象を受けるであろう。
しつこいようだが、報道と事実は似て非なるものである。
(蛇足:私自身は中国に対しては、「好き」「嫌い」の二分法の対処法自体がまずいと考えている。外交慣れした相手には是々非々で毅然と臨まねばならぬ)
そういう意味で、対テロリストの戦略上、報道統制をしても何ら問題は無い。
お題目のように情報公開を求める精神の方が危ない。
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コメント
トラバありがとうございます。「報道と事実は似て非なるもの」とのご指摘、その通りと思います。
投稿: kanconsulting | 2005/07/12 01:30
kanconsulting さん、こちらこそありがとうございます。
報道を事実ではなく、あくまでも報道として受け取る姿勢を広げたいと思っています。よろしくどうぞ。
投稿: 圭太 | 2005/07/12 07:22
仰りたい事は良く分かります。それは報道には台本がある、という話になるのかなと思います。
世論操作とか情報操作、テロの場合は当然、テロ側が見ることが前提にありますよね。しかし、日本で同じ事が起こったらどうか。まあ、混乱するでしょうね。まず政府が情報を操作する事は充分考えられそうです。もちろん、外国を見習って。
投稿: AS | 2005/07/12 20:44
まったく同感です。
今は何事も情報番組が世の中を動かしているかのように感じます。
そうは思っていても、周りの大部分の人に流されていく自分もいます。
こういう記事を読むと、“自分”を確認する機会になりますね。
それにしてもそういう情報番組を
ずる休みした息子が私のいない間に見入っていることが怖い・・・。
「おばさんの番組ばかり見てるとおばさんになっちゃうよ!」
と言っています^^;
投稿: ちこ | 2005/07/12 21:19
ASさん、まいどです。
そうですね。報道には台本がある。
それを知っておかないといけないし、また、そういう意図があるから報道に接する意味もあるんだと思います。
報道する人のバイアスがかかっていない生の情報に接すれば、この情報社会がすなわち、混沌になってしまいます。
日本には、自然が一番という無意識の圧力があるので、「操作」という言葉にはアレルギーがあるようですね。
ちこさん、まいどです。
ずる休みするんですか、息子さん。さぞ心配でしょう。
実は僕もよくさぼりました。
幼稚園の時から集団になじめませんでした。金曜日の度にもう行きたくないと思っていました。小学校の時は、少しいじめもあってさぼりたかったけれど、気が小さいのであまりさぼれませんでしたが、中学校は結構さぼりました。委員長になれば、色んな仕事をさぼれるという法則を見抜き、何回も委員長をしたりもしました(委員長って「起立、礼」って号令をかけるぐらいしか仕事がなかった)。
高校は、何と遅刻ゼロ。それもそのはず、遠方の高校だったのですが、間に合わなさそうだと、サボっていたのです。出席日数が足りなくなったのですが、なぜか通知表に載せられる公式記録では、十分な出席数でした。先生もややこしい生徒は早く卒業させたかったのだと思います。
息子さんには、「さぼってばかりいると、朝霧 圭太みたいになっちゃうで」と言ってみて下さい。
投稿: 圭太 | 2005/07/12 23:48