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2005/07/18

圭太の異常な愛情 あるいは如何にして文章を愛するようになったのか?(1)

7/15の記事 しまった! のコメント欄で ASさん とやりとりをしていて、いつからこんなに、長々としたうるさい文章を、嬉々として書くようになったのか、記憶をたどってみようと思い立ちました。

小学生の時から面倒臭がりで、行事があるごとに作文を書かされるのが嫌でたまらなかった。夏休みの宿題の読書感想文も苦痛だった。確か小1の時に、読書感想文で先生にほめられたか何かしたのだが、おくてだった僕は、自分だけ立たされているのがただ恥ずかしかっただけで、名誉なこととはちっとも思わなかった。

僕は団塊ジュニア世代だから、友達の親には教育熱心な人が多かった。土地柄もあって、小学校の高学年ともなると、45人ほどのクラスで、塾や習い事に通っていないのは僕だけだった。300人近くいた学年でも、恐らくそういう生徒はほとんどいなかったはずだ。
それで、他の子が 遊べるのは月木土 とか 火水金 という具合に決まっていたのに対し、僕のみは 日月火水木金土 で、遊びは皆勤賞だった。

ただ、両親は、教育ママ・パパ ではなかったが、しつけはうるさかった。宿題をしないと遊びに行かせてくれなかった。だから、それがすっかり習い性となり、夏休みも、7月の間は、ただ早く宿題を終わらせることで頭がいっぱいだった。読書感想文も、原稿用紙にひたすらあらすじを連ね3枚とか4枚の規定を満たすことのみを目的としていた。

そんな風だから、毎年読書感想文で表彰されるような子たちが、僕には同じ人間には思えなかった。更に、小6の時、卒業文集に載せる作文を選ぶ時に、僕は自分なりに頑張った実感があった運動会の作文を告げたはずなのに、先生は別の作文を選んだ。そんなことも、作文嫌いを増進した。

中学の時に、ちょっとした転機が訪れた。小学校の間は本が好きで図書館でよく本を借りたのだが、中学になると部活や友達との遊びで、全く本を読まなくなり、3年間でまともに読んだ本は0冊。
読書感想文はどうしたかというと、序文と後書きだけを読んで書いたのである。この方法を開発したのは中1の時だが、いきなりこれで神戸市の賞をとってしまったのである。後で思えば、これはただ選んだ本が良かっただけかもしれない。七三一部隊の人体実験を取り扱った「悪魔の飽食」であった。 (大学で、エイズの問題を研究している時に、今はなきミドリ十字のことを調べるために、初めて本文を最初から最後まで読み、衝撃を受けた。)

気を良くした僕は、中2でも同じ方法で自信満々に感想文を書き上げた。しかし、図書委員の オカ○ト 君は、僕に良くない感情を密かに持っており普段から復讐の機会を窺っていたようで、クラスの作文をまとめて国語教師に提出する際に、僕の作文を外したのだ。僕の作文はコンクールの期限に間に合わないこととなり、2年連続の受賞はあっけなく夢と終わった。
しかし、国語の先生が授業で、「朝霧君の感想文が非常によくできているので、読んでみます。期限に遅れなかったら入選したかもしれませんね」と言ったのだ。
くそっ、こんなことなら、オカ○ト君のことをバカにするんじゃなかったな。ま、その後、どういうことか問い質してから、殴るか蹴るかその両方をしたからいいけど。
ともかく、思春期のくそ生意気なガキとは言え、やはりほめられるとうれしい。この2年で作文に対して苦痛感がなくなったと思う。

高校でも、同様のことが起こった。
国語教師だけで1学年に4人か5人いたと思うのだが、高1・高2と2年続けて同じ現代文の教師があたった。現代文で授業なんて聞いても仕方がないと、ひたすら文章を読ませる教師であった。進学校だから、受験技術を教えない授業に不満を持つ生徒もいたようだが、定期テストでさえ実力問題ばかりで、覚えることがなく、ぶっちゃけた (「率直な」ということです) 話をするその教師に僕は好意を持っていた。

その教師が2年連続で、授業中に褒めてくれたのである。

「朝霧君の感想文、面白いので印刷しました。読んでみてください」
・・・・・・
「ね、面白いでしょう。優等生風の作文じゃないから、賞への応募作品を選ぶ国語科の会議では選から漏れたんだけれど、私は、だからこそ面白いと思うんです。ぶってないところがいいのにね。他の先生には伝わらなかったけれど」

喜んでいいのかどうか分からない褒め方ではあるが、これで書くことが好きになった。

長くなってきたので、大学生以降のことはまたにします。

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コメント

ハァ~イ、ASです。ほうほう、なるほどね~~
私ときたら、ずっと作文だけは好きだったんですけど、中学の国語の先生の影響が大きいなあ。やっぱり、ノートをいきなり読み上げられたり。ある時は、隣のクラスの国語の授業に呼ばれて、狂言の教科書を(台詞ね)読むように言われたり。なんか、そんな今なら贔屓だ、ずるいといわれそうな事をしちゃう先生っていたよね。うん、いいんじゃないかな。人間は誰かに認められると、俄然頑張りたくなるものだよね。・・・私はだから、演劇も小説も好きなんだ。

投稿: AS | 2005/07/18 01:46

ASさん、まいどっ。
今の先生はすぐに文句を言われるから、萎縮して保身に走っている感じがして、哀れですよね。
学校だけでなく、自分の意見を自由に言える (もちろん責任を持って) 雰囲気が社会にないとね。人のいいところを、いいと褒めることが、その人の長所を伸ばし、それが結局は社会に還元されることにもなると思うんですけれどね。

投稿: 圭太 | 2005/07/18 08:00

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