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2007/07/08

ワールドカップで日本が圧勝!

ワールドカップから、涙の・・・。

(@niftyが投票のサービスを始めたので、試しに使ってみました。長い文章を読むのが苦手という方は、この記事の最後をご覧下さい。)

2007年7月7日
ワールドカップで、日本がフランスを相手に、48-0と大勝を収めました。

何のことか分かりますか。

「日本とフランスを逆に入力してしまった?」

× ブー、違います。
間違いなく、日本がフランスを下したのです。

「分かった。TVゲームか何かの大会だろ?」

× ブー、違います。
スポーツの大会です。

「分からん。そもそも、今年は、サッカーはワールドカップないし、ラグビーも確か秋やし、スキーも冬やろし、ないんちゃうん。もったいつけんと、はよ教えろよ」

分かりました。実は、
アメフトのワールドカップなのです。

知っていました?

知っていました? その1)
アメフトのワールドカップは今回で3回目である。

ちなみに、第1回はイタリアのパレルモ、第2回はドイツのフランクフルトで開催されています。

知っていました? その2)
今年のアメフトのワールドカップは日本で開かれている。

世界中の都市との招致合戦を勝ち抜いたかどうかは不明ですが、日本で開催しています。

知っていました? その3)
今年のアメフトのワールドカップの正式名称は、
第3回 アメリカンフットボール ワールドカップ 2007 川崎大会
である。

なぜ、「2007 日本大会」ではなく、「2007 川崎大会」なのでしょう??
ちなみに、英語での正式名称は、3rd IFAF World Championships 2007 in Kawasaki / Japan となっています。

知っていました? その4)
試合が行われるのは、等々力陸上競技場と、川崎球場である。

川崎フロンターレがホームとしている等々力陸上競技場はともかく、川崎球場がワールドカップの会場にっ!!! (しばし絶句)

マリーンズがまだオリオンズと言っていた頃のホーム、川崎球場。
「最強の助っ人」リーが場外ホームランを連発し、住宅地にボールが飛んだため、ライトスタンドに鉄柱を追加していわゆる「リーネット」を増設したあの川崎球場。

いつもガラガラで、観客がスタンドでキャッチボールや麻雀や流しソーメンまでしていた川崎球場。

ベイスターズがまだホエールズという名で、袖に「まるは(○の中に『は』)」と書かれたオレンジとグリーンのユニフォームを着ていた頃のホーム、川崎球場。
チームは優勝争いに絡むどころか、5割が目標という状態だったが、平松がジャイアンツ相手に力投を続け、山下が華麗にダブルプレーを量産し、まだシピンがひげもじゃで暴れまわっていたあの川崎球場。

そして、1988年10月19日。
全日程を終えた1位のライオンズに対し、バッファローズは2試合を残していた。それがこの日のオリオンズ線のダブルヘッダー。2連勝の場合のみ逆転優勝という重圧の中、第1戦は奇跡の逆転勝ちを収め、第2戦、二転、三転した後、不合理な4時間ルールで延長10回で引き分け、ゲーム差なしで勝ち数ではライオンズを上回りながら2位に終わった、あの「涙の川崎球場」。

なんか、アメフトより川崎球場の記事のようになってきましたので、アメフトの話に戻します。

アメフトにも似たようなフレーズがあります。
「涙の日生球場」です。
涙の川崎をさかのぼることほぼ11年の1977年11月13日。朝から降り続く雨でぬかるんだ日生球場で、激闘は行われました。

アメフトの関西学生リーグの一戦です。学生スポーツで最も集客力のあるリーグで、当時から関京戦(関学VS京大戦)は2万人ほどの観客が入っていました(1991年に西宮スタジアムで行われたプレーオフの関京戦では41,000人が入りました。あの時はすごかった)

関学は戦後ずっと関西では孤高の存在でした。1949年から1976年途中まで145連勝を記録していたのです。この間、負けどころか引き分けもありません。もちろん、公式戦だけの記録です。

その雲の上の存在だった関学を、ついに下したのが京大です。
中学から生徒がアメフトに触れる機会のある関学に対し、国立大で受験がとびきり難しい京大がスポーツで勝つことは不可能に思えました。実際、1952年から3年間は京大戦は不戦敗という不名誉な結果に終わっていますし、水野監督が1960年代後半にコーチを始めたとき、「いつか関学に勝つ」と話すと、(日本一の美女と言われていた女優の)山本富士子と結婚すると言った方がまだ信じられる」と笑われたそうです。

ところが、猛特訓やアメリカ式の戦術導入などで京大は差を詰めていきました。
1971 京大 0-80関学
1973 京大 0-17関学
1975 京大14-24関学
そして、ついに
1976 京大21-0関学
と関学を本当に破ります。しかし、関大に 16-20 で負けたため、1敗で関学と同率首位となり、プレーオフでは関学に 0-13 と雪辱を果たされ初の甲子園ボウル出場は逃します。

明けて、1977年。日本のアメフトでは、春にプロ野球のオープン戦のような非公式試合が行われるのですが、その時には、京大 35-0 関学 という結果でした。非公式戦とは言え、こうなると焦るのは関学です。

関学と言えば、青のユニフォームと言い、またキャンパスの雰囲気といい、バンカラで野暮ったい京大とは対照的に、華麗で洗練されたイメージです。アメフトでも、アメリカの最新戦術をどこよりも早く採り入れ、またランよりパスでゲインを稼ぐというのがカラーでした。

しかし、前年に145で連勝記録を止められ、春の非公式戦で完封負けした京大戦を考えると、1977年はそんなことを気にしていられませんでした。徹底的に泥臭いまでに練習を重ね、京大戦前の2週間、コーチ陣は合わせて20時間も寝なかったそうです。

それでも、試合が始まると、下馬評どおり京大が先制し、第2Qには 0-14 に。第2Q終了間際に7点を返すも、第3Qに入って7点を取られ、7-21 に。
天候が良ければ、京大は逃げ切ったでしょう。しかし、この日は朝から雨でした。

関学関係者の誰もが負けを覚悟した第3Qでの失点後、正確だった京大オフェンスのリーダー宅田が考えられないミスをしました。恐らく雨でボールのハンドリングがうまくいかなかったのでしょう、ピッチが乱れ、ファンブルとなり関学にボールを奪われたのです。アメフトでは、ボールを奪われると攻守が入れ替わります。このチャンスを活かして関学は得点し、14-21 とします。

流れを引き寄せた関学は第4Qにタッチダウンをあげ、20-21。アメフトではタッチダウンで6点、フィールドゴールで3点ですが、タッチダウンの後には更にキックか通常のプレーを1度だけ行うことが出来ます。キックの方が確実ですが1点だけなのに対し、プレーが決まると2点与えられます(ツーポイントコンバージョンと言います)。

ここで、関学は賭けに出ます。キックで確実に同点にして負けを消すのではなく、プレーで逆転を狙ったのです。もちろん、しっぱいすれば1点のビハインドのままです。

更に、そのプレーで、パスの予想を覆し、ランを選びます。しかも普通ランでボールを進めるRB(ランニングバック)の越中ではなく、パスを投げるQB(クウォーターバック)の猿木が自ら走ったのです。結果は、……
2人のタックルをかわし、うまくエンドゾーンに入り込み逆転成功。

関学の選手には、爽やかなスポーツマンが多いのですが、このプレーでもRB越中が後で振り返った際に、自らのチームの成功を誇ることなく、こんなことを言っています。
「第3Qで京大のディフェンスリーダーであるLB(ラインバッカー)の長谷川さんが脳震盪で退場しました。長谷川さんがいたら、猿木のランにも対応していたでしょう」

試合が終了すると、京大の選手たちはフィールドに立ち尽くし、関学の選手たちは大粒の涙を人目もはばからず流していました。「涙の日生球場」という名は、2年連続で惜しくも甲子園ボウル出場を逃した京大のためでなはく、勝者の関学のために語られることが多いようです。

ツーポイントコンバージョンを決めた猿木選手は名QBと言われましたが、翌年の春の近大戦でタックルを受けた際に脊髄を損傷し、二度とフィールドに立てない体になってしまいます。今でも車椅子の生活ですが、それでも彼は、こう語っています。

「タックルより先に自分から倒れたときに、変な体勢で首から落ちたんです。それが原因でしょうけど、よく覚えていません。(中略)こんなけがをしましたが、私にとってアメリカンフットボールは人生そのものです」

車椅子の猿木さんは、手もうまく動かないながら、税理士の試験に挑戦し続け、6回目の受験で見事に合格し、今は大阪市内で事務所を開かれています。

なお、日生球場でアメフトのリーグ戦が行われたのは、この一戦だけです。当初は他の万博陸上競技場で行う予定だったのが、急に毎日放送からテレビ中継の話が入り、テレビ局の都合で試合日程が1週間ずれたために、万博陸上競技場が使えなくなり、急いで探して確保したのが日生球場だったのです。ホームにしていたバッファローズの好意で、当日はマウンドを撤去して試合を行うことができたそうです。偶然ですが、この球場変更は良かった。「涙の万博陸上競技場」は言いにく過ぎるから。

だいぶん、話がそれましたが、元に戻して。

知っていました? その4、いや、その5かな)
過去の2回のアメフト ワールドカップで日本は2連覇している。

過去の2回の決勝はいずれも日本対メキシコで、日本が勝利を収めています。第1回では、オーバータイム(延長のことですね)で勝つという結構劇的な結果を残しているのですが、このことを知っているのは、126,208,000人ほどの日本人のうち、1,000人ぐらいでしょう。10万人に1人ぐらいの割合ですね。

ただし、過去の2回はアメリカは不参加です。そりゃそうですね。アメリカのプロリーグであるNFLと、日本のアメフトのレベルは、メジャーリーグと日本の高校野球(リトルリーグ?)ぐらいの差があるでしょうから。

今度の第3回ワールドカップはアメリカが参加していますが、プロ選手は出場せず、大学出身の選手から代表が選ばれています。大学の最上位リーグからの選出は10名ちょっとで、他は下位リーグからの選出。それでも予選は免除で、本戦でも圧勝と言うのが下馬評です。

附記1)
今回の記事は多くを、産経新聞大阪本社運動部編著の「関学・京大・立命 アメフト三国志」(産経新聞出版)に負いました。サイドバー「記事に関連する本」にリンクがあります。

附記2)
最初にも書きましたが、@nifty が投票のサービスを始めたので、珍しくて早速使ってみます。良ければ、投票してみて下さい。

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